福井塾

合格に至る確かな歩みへと導く

出会った生徒達のこと

実際に出会った生徒のケースをご紹介しましょう。

(1)A君

私大医学部志望。
高3のときから毎年複数の私大医学部を受験し、そしてすべて不合格という経験を繰り返している多浪生。
当時の私は医学部に通いながら予備校で数学講師のアルバイトをしていましたが、そのときの生徒です。
彼が3浪のときの1年間だけ数学の授業を担当していました。3浪の受験にもすべて失敗した直後の3月初め頃、深刻な顔をして彼が相談にやってきました。
「先生、これ以上いくら浪人を続けても合格する自信がありません。特に数学はこの3年間必死になってやってきましたが、いくら勉強しても入試のときに問題が解けません。これ以上浪人しても問題が解けるようになると思えないのです。どうしたら入試問題が解けるようになるのでしょうか。浪人を始めたころは、2,3年一生懸命に勉強すれば必ずできるようになると親や先生方からもそう言われて励まされたので、僕もそれを信じてこの3年間は自分でも本当に頑張ってきました。でも今では、いくら努力しても数学ができるようになる自信がないのです、合格する自信がないのです。僕の何が駄目なのでしょうか、勉強方法がいけないのでしょうか、僕はいくら努力しても数学ができるようにならない人間なのでしょうか、一生懸命勉強すれば必ずできるようになると言った親や先生方の言葉を信じた自分が間違いだったのでしょうか。」
彼とは授業で接するだけでこれまでに数学の質問を受けたこともなかったのですが、このときはひどく深刻ですがるような表情で意を決したように私に話しかけてきたのです。
非常に素直で真面目、勉強も真面目にコツコツとしている生徒というのが私の授業での彼の印象でした。
彼の家は病院で、親は何浪しても構わないから合格するまで受験を続ければいいといった方針。
親としては、高校生活と同じ年数の3年間を予備校で受験勉強させればどうにか合格はできるだろうと思っていた様子。
話をしてみると彼は印象通りのいたって素直で真面目な生徒でした。素直な彼には親の考えが浸透していて3浪までは当然と考えていたようです。親の期待に応えたい気持ちは3浪に失敗した今でも変わらないのですが、浪人を始めたころとは違って今では親の期待に応える自信がまったくないのです。
浪人を始めたころには、親や担任の先生が言った通りに「3年ほど予備校に通って努力すればなんとか合格するだろう、苦手な数学もできるようになるだろう」と彼自身もそう思って何の不安もなく勉強していたのです。
なんという彼の素直さでしょう。素直であるというのは本当にすばらしい彼の長所であることに間違いないのですが。
しかし、「人からのアドバイスに素直に耳を傾け、ひたむきに努力する人間は必ず成功する」という言葉が真実であるには、そのアドバイスが的確で正しい場合に限ります。アドバイスが不適切で間違っていたらどうでしょう。素直さやひたむきさといった大いなる長所は、その長所を持つ人をいっそう成功から遠ざけてしまうことでしょう。
私は彼から、現在の数学の勉強方法をはじめ、高校時代、中学時代、そして小学生の時の勉強について話を聞きました。
そして、何年もの努力にもかかわらず彼の数学力が一向に伸びない原因が分りました。
彼は数学の勉強方法が間違っていたのです。それは彼が小学生のとき、家庭教師から与えられたというアドバイス、指導を何の疑いもなく驚くべき素直さで受け入れたときにまでさかのぼります。
彼は小学生の時から算数が苦手だったようです。そうした彼の算数の成績を上げるべく家庭教師がつけられた次第ですが、その家庭教師が彼に言った言葉はこうです。
「君は算数ができないのだから考えても時間が無駄に過ぎるだけです。算数の問題は考えてはいけません、すぐに答えを見て丸暗記しなさい。」
この恐るべき算数勉強法の指導は、A君の大いなる素直さによって即座に受け入れられ、それは結果としてA君の算数のテストの得点をたちまちにしてしかも大幅にアップさせたのでした。両親は喜びA君は大いにほめられたそうです。
この「不幸な成功体験」以来、彼は成績の上がる算数の勉強方法を確立したのでした。
「考えても自分は解けないのだから時間の無駄。時間は限られているのだから、無駄はいけない、無駄なことはやめよう。答えをそのまま丸暗記すること、それが成績アップの最善の方法。」
彼が小学生の時に確立したこの恐るべき「必勝の算数勉強法」は、「必勝の数学勉強法」として受け継がれ中学、高校、そして浪人の3年間に至るまでの10年以上の長きに渡って途絶えることなく守り続けられたのです。
私は彼のクラスでの授業の際に、「わからない問題でも考えること、自分なりに考え抜くこと、これが数学の学力アップの最善の方法である」と何度も言っていましたが、私のアドバイスは彼の驚くべき素直さをもってしても受け入れてはもらえなかったようです。
「わからない問題を考えるのは時間の無駄、それはいけないこと」と教えられ10年以上も算数・数学の問題を自ら解こうとしなかった彼にしてみれば、「わからない問題でも考える」ということがどういうことなのか理解不能でもあったに違いありません。
浪人3年目が失敗に終わりすっかり自信を喪失している彼を目の当たりにすると、恐るべき「必勝の算数勉強法」を伝授した家庭教師への憤りも感じましたが、「人からのアドバイスに素直に耳を傾ける」という彼の大いなる長所が「人からのアドバイスを自らは何も考えずに受け入れる」という彼の大いなる愚かさにも思えてくるのでした。
実際、彼の「必勝の数学勉強法」は、中学時代においても彼にまずまずの数学の得点を与え、高校時代の定期試験においてもまったく理解できていない数学において赤点となるのを防ぐという「不幸な効き目」を発揮していたのですが、高校での模擬試験においては成績アップに何の効き目も発揮しなくなっていました。
しかし、彼は、「必勝の数学勉強法」を捨てることをしませんでした、捨てようとは1度も考えたことがなかったといいます。彼には「必勝の数学勉強法」以外に数学を学ぶべき方法は知らされてなかったのです。
このとき彼は「必勝の数学勉強法」が何の役にも立たないことを自ら気付くべきでした。
何の効果も発揮しなくなった「必勝の数学勉強法」に対して、その方法が本当にいいのかどうかを自ら考え直してみなくてはいけなかったのです。
それでも、彼がそうした事態になっても何の疑問も持たずに「必勝の数学勉強法」を守り続けたことは、彼の素直さというよりも彼の愚かさと呼ぶべきでしょう。
高校の模擬試験において破綻したかに見える彼の「必勝の数学勉強法」は、実は小学生のときに既に破綻していたのです。高得点が取れた算数のテストでも、実は何も理解できていない、何も身についていないことを彼自身知っていたからです。しかしテストでの高得点という目に見える結果は親を非常に喜ばせていたので、親からほめられるから頑張ろうという彼のけなげさが「必勝の数学勉強法」の不毛さに勝っていました。
小学生の彼に必要だったものは、算数の成績のお手軽な成績アップといった「不幸な成功体験」ではなく、自ら考え自らの力で算数の問題が解ける喜びを知るという「幸福な成功体験」でなくてはならなかったと私は考えるのです。
こうした「幸福な成功体験」を味わった生徒は、答えを教えられることを嫌がります。答えが知らされる前にまずは自分の力で解いてみたいと思うからです。
しかし、時すでに遅し、です。小学生のときには戻れません。
それではA君は何をすべきでしょうか?数学の勉強方法を根本的に変えるしか、彼の数学力アップは望めそうにありません。しかし余りにも長きにわたって守り続けられた恐るべき「必勝の数学勉強法」から彼が抜け出すのは容易なことではないのです。まずはA君の意識変革から始めなくてはならないでしょう。
「わからない問題でも考えること、自分なりに考え抜くこと、これが数学の学力アップの最善の方法である」と私は生徒達にアドバイスしたと述べましたが、実はこのアドバイスが実行できる生徒は既に相当の数学力が身に付いているといえます。数学の苦手な生徒にこのアドバイスをすることは、A君が言うように「時間が無駄なだけ」のアドバイスとして生徒からは支持されないでしょう。
「わからない問題でも考えること」「時間の無駄」にならない為には、高校数学の各分野において基本的事項の理解とそれに伴う知識を身に付けておく必要があります。「考えること」が可能となるにはそれに必要な土台がなくてはなりません。考えるための土台がなければそもそも「自らの力で考えること」など不可能で、時間の無駄となってしまうことでしょう。
それでは、「いくら努力しても数学ができるようにならない。簡単な問題は解けても入試問題はさっぱり解けない。」といったA君の悩みはどうすれば解決できるでしょうか?
私はA君に「数学各分野の基本事項は理解できているかどうか、覚えるべき公式は覚えているのかどうか、理解できていない項目はないのか」と確認してみました。
「はい、それは大丈夫だと思います。高校の時まったく分からなかった箇所も浪人してからよく分かるようになりました。何度も何度もやったので基本的な問題は解けますし、公式も全部覚えています。」
A君はゆっくりとした口調で、これまで自分がやってきたことを確認するように答えました。A君の口調は実に控えめでしたが、彼の一言一言に静かな自信とでもいうべきものを私は感じました。
  A君の言ったことに嘘はないでしょう。彼は高校のときからもさぼってきたわけではないのです。浪人してからの3年間も真面目にコツコツと勉強を続けてきたに違いないのです。計6年間にも及ぶ努力にもかかわらず、A君は志望する大学の入試問題が解けず合格という目標を果たせないでいるのです。
A君が無事目標を達成するには、A君はどうすればよいと皆さんは思いますか?
控えめながらも静かな自信を含んだA君の言葉を聞いた皆さんは、「A君はあの恐るべき『必勝の数学勉強法』によって長年自ら考えることができていない、それでも考えるための基本事項、すなわち数学的土台については高校以来の努力の結果身に付いているのだから、あとはその土台をもとに考える力を養成すればよい。しかし、考える力を養成するといってもそれが難しい、さてどうしたものか。」と思っておられるかも知れません。
「A君は高校以来のコツコツとした勉強の積み重ねで、ようやく入試問題に向かうスタートラインに立つことができた。それは言ってみれば、彫刻をするのに必要な彫刻刀は遅きに失したがようやくすべてそろったということだ。平刀、丸刀、三角刀、それに切り出し刀までようやくすべての彫刻刀の用意ができた、あとはその使い方を習得するだけだ。A君はなにも見事な芸術作品を彫刻するわけではないのだから、彫刻刀の使い方さえマスターできればいいはずだ。」と考えられているかも知れません。
A君の言葉に嘘はないと私は思いましたが、しかし私には、A君が自らも準備はできていると控えめながらも静かな自信とともに語る数学的土台が、高校時代は不十分でしたが今ではすべて揃っていますといって並べて見せる彫刻刀のすべてが、蛍光灯の光の下で白く静かな光を放っているようにはとても思えなかったのです。
あるものは錆つき、あるものは歯がこぼれてしまって、とても使い物になるとは思えなかったのです。まずやるべきは、錆つき歯こぼれした彫刻刀の1本1本を研ぎ澄ますことから始めるのでなければ、どんなに彫刻刀の使い方を習得しようとしてもそれは到底かなわぬことに思えました。
A君とは週に2、3度の授業で会うだけで授業でのやり取りを通して接するだけでしたが、そのとき私が垣間見たのは、錆つき歯こぼれしたA君の彫刻刀でした。私はそのたびごとに、錆ついた彫刻刀の砥ぎ方をさりげなくアドバイスしましたが、A君にはその意味が理解不可能であったでしょうし、そもそもA君は彼の「必勝の数学勉強法」以外いっさい耳を傾けるつもりもなかったのです。
彼が長年をかけて用意した彫刻刀の一本一本は、それらすべてがあの「必勝の数学勉強法」という砥石によって磨かれていたのでした。その砥石は、磨けば磨くほど磨いたものを錆びさせてしまうという恐るべき効果をもった「偽物の砥石」でした。今では偽物の砥石を持つA君の手は、すっかりと偽物の砥石に馴染んでいるようでした。
その偽物の砥石に換えて、磨けば磨くほど磨いたものを輝かせるという「本物の砥石」をA君の手に持たせようとしても、A君は偽物の砥石を握りしめて、本物の砥石を持とうとさえしないようにも見えました。
それほどまでにA君の症状は悪化していると、私には思えたのです。
A君は極端なケースであると思うかも知れませんが、A君と同様の症状、すなわち「いくら努力しても数学ができるようにならない。簡単な問題は解けても入試問題はさっぱり解けない。」といった症状に悩んでいる受験生は多いのです。
そうした場合には、まずはこれまでの数学の勉強方法を見直して、学力がアップする正しい努力をしていたのかを点検してみる必要があります。
志望校に合格するためには、こうした症状を改善し入試問題が解ける数学力を身につけなければなりません。
入試問題が解ける数学力といっても志望する大学によってその目標とするレベルは様々ですが、「わからない問題でも自らの力で考える」といった姿勢を伴わない数学の勉強法では、問題の解法パターンを無闇に暗記していっても真に身に付く数学力には決してなりません。